高速道路建設のために取り壊された矢岳町の九州文化学園。その跡から焼き払われ、焦土化した民家の後が見つかったのだとか。てっきり太平洋戦争の時の空襲の後かと思ったら
焦土化した民家跡発見 明治期のペスト予防の名残 県教委 九州文化学園跡地で
九州文化学園跡地(佐世保市矢岳町)の発掘調査で、明治時代のペスト流行に伴い、焼き払われ、焦土化した民家の跡が見つかった。約2000平方メートルに渡り、赤っぽい土と建物の礎石が点在している。
県教委佐世保教育事務所によると、明治39(1906)年から佐世保市内でペストが流行し、翌年、予防対策として、当時の下矢岳町全体167棟を焼き払った。焼け跡は、海軍の練兵場となったが、今回見つかったのは、焼けた町の一部とみられる。
調査を担当する同事務所は「佐世保が近代化する際に起きた出来事がうかがえる。町や家々を焼いた後、そのまま埋められた様子が分かる」としている。
県教委は5月から、同学園跡地で縄文時代の集落構造などの解明を目的に発掘を進めており、調査は9月まで行われる。
=2006/06/26付 西日本新聞朝刊
明治時代のペスト禍のあとだったらしい。
空襲と同じで悲劇であったには違いないのだが、なんとなくおとぎ話めいて感じるのは、ペストというと中世ヨーロッパの疫病のような印象、遠い昔の異国のお話、という思いこみのためか。
そんな風で、てっきり日本には無縁かと思っていたけど、自分の住んでいる地で、わずか100年ほど前に、町1つ焼き払うような事件が起っていたとはね。そうとうパニックだったんだろうなあ。
ちょっと調べてみたところ、実際日本にはペストを媒介するノミ(ケオプスネズミノミ)が生息していなかったため、ペストが流行したのは明治以降、国外から進入してきてからとのこと。成程。考えてみれば、軍港佐世保らしいといえばらしい歴史。
先進国ではほぼ撲滅されたとはいえ、発展途上国では今なお被害が起きているとのこと。日本でも発展途上国に訪れる観光客やビジネスマンが年々増加していること、食料や資材、さらにペットの輸入などを媒介して流行する可能性は残っているらしい。鳥インフルエンザやらなにやら、不安の種は尽きないのに、昔の名前は即刻退場してもらいたいものだけど(苦笑)
焼き払われた訳じゃないけど、現在の矢岳町付近も、かなり広い範囲更地になってしまって、様相が変わってしまった。ここまで綺麗に見慣れた風景がなくなってしまうと、けっこうショックなもんです。あらかじめ分かってはいても。
道路が建設されてしまうまで、しばらくはなんだか落ち着かないだろうなあ。
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thrashでございます。ご無沙汰です。
九文のあたりは更地になってるんですか。。。
まえにも書いたかもしれませんが、わたしは矢岳町に住んでいましたので、少しショックです。
サンプラザに行った帰りは、アルバカーキ橋を渡り、ニミッツパークのなかを抜け、九文の脇の階段を登って家路に着いていました。
ちなみに、矢岳町といえばハンバーガーショップヒカリですが、弓張岳展望台も矢岳町であることは、意外と知られていません。
お久しぶりです。あの一帯、今後どういう風にかわっていくのでしょうね。あの辺りの町の区割りってかなり分かりづらいですよね。展望台も矢岳というのは初耳でした。