滝口康彦「一命」

ずいぶん久しぶりに本を読んだ。

三池崇史監督市川海老蔵主演の映画「一命」の原作だが、原作者の滝口康彦氏が佐世保市万津町出身、という話を聞いて俄然興味を持って買ってみることにした。

ちなみにタイトルは「一命」ながら「一命」という小説は入ってない。原作のタイトルは「異聞浪人記」。この作品を含む全6作が収録

「異聞浪人記」、切腹を題材とした作品ということで、武張った内容を想像ていたが、むしろこの人の作品は武士道の影の部分、と言うか、形式主義に堕した武士道の批判、という様相が強い。「武士の面目とは、所詮人目を飾るだけのもの」という津雲半四郎の台詞が重い

「高柳親子」は商業作品デビュー作となるそうだが、「異聞浪人記」の腹違いの兄弟のような作品、という印象を受けた。

二人の侍の死に様を描く、という共通点がある一方、「高柳親子」が(当時士道において美風とされた)殉死を否定した侍の陥った悲劇を描いているのに対し、「異聞浪人記」で描かれているのは狂言切腹というどう考えてもゆすりでしかないことに手を染めた侍の悲劇。

そこに映し出されているのはどちらも武士道の非人間性だが、高柳親子のほうがより直截的にそれを糾弾しているように感じる。武士道、と言うか、それ以上に「時世」や「世間」といった曖昧なものに安易に流される人の性そのものを糾弾していると言うか。

いわば「空気を読む」なんて言葉とは対極のところにいるのが滝口作品の主人公の特徴か。愚かすぎるほどに自分を貫き、そして敗れる、という話が多い。

その中で唯一毛色の違うのが「上意討ち心得」

ここに出てくる里見主馬は、一見平凡ながら能ある鷹は爪隠すタイプの知恵者、ふつうに痛快譚としても読めるし、難敵を倒すための秘策や、上意討ちの判物をなくした理由など、一種のミステリーとしても面白い。

が、これを主馬の許嫁の視点で描くことで、唯一ハッピーエンドといっていい内容なのに、どこかやるせない読後感を漂わせているのがこの作家らしさか。

商業誌デビュー作の「高柳親子」で1950年代の作品とかなり古いにもかかわらず、文体は平易で、意外と読みやすい。それにしてもこれほど面白い小説を書く作家が地元出身でいるのに気が付かなかったとは。あまりに不覚(^^; 長編も読んでみたいところ。


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