葉室麟 「風渡る」「風の軍師」

最近は時代小説ばかり読んでいるが、とくに手にとることが多いのが葉室麟。今回の2冊は来年の大河ドラマで主人公となる黒田官兵衛(如水)を主役にしたもの。

権謀術数のイメージの強い黒田官兵衛であり、この作品でも策を持って明智光秀に本能寺の変を起こさせたりマキャベリストぶりを発揮しているが、この2作品ではではキリシタンとして「あもーる」に生きる側面が強調されている。

本能寺の変が起き、秀吉の天下になるまでを描いた一作目「風渡る」のもう一人の主人公格であるジョアンもイエズス会の日本人修道士であり、彼と官兵衛の身分を超えた友情が清々しい。

南蛮人と見紛う容貌を持ったジョアンの出生の秘密がストーリーの核になっているところも面白い。ただ話がいくぶん散漫になったきらいも。

「風渡る」ではゆくゆくキリシタンの敵となる、とみなした信長を奸計を持って討ったものの、その後天下を取った秀吉もまたキリシタンの敵となり、官兵衛がユダヤ人指導者ジョスエ(ヨシュア)にあやかり「如水」を名乗るところで終わり、そののちの話は2作目「風の軍師」で語られる。

「風の軍師」は長編というより、連作中編集のような形になっているが、先の作品で脇役として描かれた人物があとの作品で主役として描かれたり、なかなか凝ったつくり。

「太閤謀殺」はタイトルのとおり、秀吉の死までが描かれている。海を遠く隔ててイタリア・ボルジア家に伝わる(とされる)毒薬「カンタレラ」が出てきたりと、ストーリーテリングの妙は意表をついている。

「謀攻関ヶ原」は関が原の戦いに託した如水の謀略が描かれる。

関が原の戦いであわよくば天下を伺おうとしていたが、息子長政の予想外の活躍により予定より早く関ヶ原の戦いが終わり天下取りそこねた・・・ みたいな如水陰謀論を何処かで聞いたことがあるが、この作品で描かれるのはキリシタン国家樹立のための別の野望。その裏にもう一つの別の思惑があるのだが、そのことがある悲劇を招き、策謀の限界を悟る晩年の如水の姿に物悲しさの残るラスト。

この作品の最後で如水は死に、残り三作は如水死後の後日談、あるいは裏話、といった体裁になっている。

「秘謀」は如水の家臣後藤又兵衛の後日談。如水の子長政と仲違いし黒田家を出た又兵衛の行動にはすでに亡き如水の先見と最後の思惑があった、というお話。少々出来過ぎかな?

「背教者」は意外な人物が主人公。当時反キリスト教の代表的知識人だった不干斎。「太閤謀殺」と「秘謀」で狂言回し的な役割ででてきた修道士ハビアンの後の姿だったりする。あもーる(たいせつに思う心)に殉じた如水やジョアン、あるいは又兵衛とは正反対の立場であり、生涯を送った男の視点から秀吉謀殺のもう一つの側面が描かれる。

ハビアンを変えた原田喜右衛門という商人、ハビアンは彼に「だまされた」のではなく「気づかされた」とか立っているのが興味深い。っ如水もまた、「人の心を操る」のではなく「心のなかにあるものに気づくように仕向けて」いると語っているからだ。さらに「人に己を知らしめるのはルシヘル(悪魔)の仕業」だと。

とすると喜右衛門は如水の合わせ鏡なのか。如水は信仰に生きたが、喜右衛門は心中に神を抱いてないと断言している。筆者の信仰観を垣間見せる設定のような気がする

最後の「伽羅奢(ガラシャ)」はこの2作品の影の主人公というべき細川ガラシャと小侍従いとが主人公。ストーリー自体は、先の作品の中描かれていることと重複する部分が多いが、ガラシャに死を決断させるある事実が明らかになる。独立した作品というより、この2作品のエピローグといった感じだな。


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